【ある更生者の発表】
災害調査ボランティアに更生者を派遣することについて、マインドハック協会全体に採決のアンケートを送付しています。
先日のマインドハック会議での発表を文字起こしした資料を同封していますので、よろしければご覧ください。
(付添人とともに壇上に上がった発表者、周囲に向かって一礼する。
発表者の登壇場所は会場の中央にあり、発表者は8方向すべてに、一度ずつ丁寧に頭を下げた)
(会場、拍手)
みなさん、こんにちは。
むかし、私はひどい人間でした。
でも、今はもうそんなこと全くありません。私はマインドハックを受けたからです!
(会場、さらに拍手)
(拍手が止む)
ありがとうございます。ありがとうございます。ほんとに、ありがとうございます。
むかしの自分のことは、経験としては覚えているけれど、なんだか遠い国の本を読むような気持ちです。
多分、その時に感じていた感情をマインドハックで消してもらったからですね。そういう風に説明を受けました。
ここにいる私のことを覚えている人も、もしかしたらいるかもしれません。私のことはラジオや新聞で何度か紹介してもらいました。
私は去年の夏にC級のバグがあることがわかり、マインドハックを受けました。今はもう大丈夫です。
(発表者、小さく一度頷く)
この間までの私は、車がとても好きだったみたいです。
どうしてか、ちっちゃな車をたくさん集めていました。家の壁中に小さな透明の棚を並べて、家にはびっくりするほどたくさんのミニカーがありました。
家中似たようなミニカーばっかりでいっぱいで、置ききれないから家のほかに、専用の倉庫を借りるくらい! でもどうしてこんなに集めたかったのか、今は全然わかりません。
子供のころから本当に車が大好きだったって、身の回りの人は言ってます。カントクさん? そうなんですよね?
(発表者の横に立っていた付添人が手持ちマイクを受け取る。発表者は笑顔で男性を指し、「これがカントクさん! みなさん拍手!」と両手を振る)
(会場、拍手)
(付添人、受け取ったマイクを何度か叩く。ボン、ボンと音がする。スイッチを切り替え話し始めるが、マイクをOFFにしてしまったので声が聞こえない)
(マイクがONになる。付添人、もう一度同じことを話しはじめる)
えー、あー。はいどうも、こんにちは。更生者の監督官です。彼は更生後も施設でよくやっています。
お手元の資料をご覧になるとわかると思いますが、ええ、24ページの、ええ。
彼が我々の施設にやってきたのは、去年の夏、あるスポーツサーキットでの事件によるものです。
マインドハッカーの報告によると、彼のバグ、すなわち破壊衝動の根源となっていたのは、レーシングカーに対する強い執着でした。
当時の音声記録が残っています。こちらです。
(付添人は手に持っていたテープレコーダーをマイクに近づけ、再生ボタンを押す)
(カチッという音のあと、しばらくして、くぐもったぼそぼそと話す音声が流れる)
……どうして……
どうしてこんなことになってしまったんでしょうか。
……車が……
車が好きだっただけなんです。
ただ、車が……好きなんです。みんなが言う『好き』とは、ちょっと違うかもしれません。
でも、好きなんです。とにかく車のために生きてきました。車が私の全てなんです。
あの、金属の塊が流線形にプレスされて、そこにありとあらゆる技術の粋を集めたエンジンが載っていて。
その力で鉄の塊が馬鹿みたいな速さで動くっていう……それが好きで好きで、たまらないんです。
車だけでよかったんです。人は傷つけたくなかった。こんなはずじゃありませんでした……
(嗚咽の声)
……世界で一番美しいものが……
メチャクチャになるところをどうしても見たい、って思っちゃったんです。思ってただけだったのに。うまく隠せてきたのに。
……こんなつもりじゃなかったのに……どうして……
(カチッという音がして、音声が停止する)
はい。とにかく彼は車に激しい執着を持っていました。
そして、レースチームのクルーであった彼は車両とサーキットのコースに細工をし、レーシングカー同士を衝突させて観客席に突っ込ませるという大事故を故意に起こしたわけです。
多数の死傷者が出て、去年は新聞の一面に大きく載りましたので、よく覚えているかたも多いでしょう。事件の詳細については割愛します。
えー。その後マインドハックを受けて、気分はどうですか?
(付添人が再び発表者にマイクを渡す。声質が特徴的なため、先ほどのテープレコーダーの音声と発表者が同一人物であることがよくわかる)
はいっ! 世界がとにかく明るいです。当時の自分のことを聞くと、なんであんなに思い詰めていたんだろう、本当にかわいそうだな……と思います。
つらいことなんて何にもありません。「そういう気持ち、ある?」って経過観察のお医者さんに何度も聞かれたけど、正直、それがどういうものなのかもちょっとよくわかりません。
多分、むかしの私にはたくさんあったんだと思います。その頃の自分のところに行って抱きしめてあげたい。もう大丈夫だよって言ってあげたい。
なんだか悲しそうで、かわいそうで、ちょっと泣いちゃいます。
(発表者、少し涙ぐんで、指先で目元を擦る)
ねっ。今は車を見ても、特別なにか感じることはありません。あ、すてきだな、きれいだなとはもちろん思います! でも、すてきなものは他にもたくさんあります。
毎日ご飯もおいしいし、こうしてここに立っているだけでとにかく身体の内側からあったかい気持ちが湧いてくるみたいなんです!
こんなに世界はキラキラに包まれているんだから、わざわざ一個の何かにしがみついて思い悩むことはないんじゃないかなあ?
キラキラして、楽しくて、幸せです! マインドハックを受けて本当によかったです!
(付添人、発表者に耳打ちする)
(発表者、付添人に大きく頷いて答える。満面の笑顔で会場を見渡しながら話す)
はいっ! 今一番楽しいことは、毎日、いろいろな人に手紙を書くことです!
私はとても恐ろしいことをしたと思います。本当にひどい人間でした。
あの日のレース会場にいた人たちみんなに、怖い目に遭わせて本当にごめんなさいって、一人一人直接謝りたい。
本当は顔を合わせて目を見て、もう大丈夫、私は二度とあんなことをしないように変えてもらえました! ……って言ってあげたいけど、とにかく人数が多いし、多分急に会いに行ったらびっくりしちゃいますよね。
だからその代わりに手紙を書いているんです。一通一通、ちゃんと手で心を込めて書いてます。みんな読んでくれるといいなあ。
……あ、そうだ! それで手紙を書いていて、どうしてもやりたいことができたんです!!
マインドハックを受けた更生者が、すごく反省していて、もう大丈夫だってことを……もっとみんなに知らせるにはどうしたらいいんだろうって!
(付添人、えっ? と声をあげる)
この前、カントクさんに凍結災害のことを聞いたんです! カントクさんが言うには、この世界には、バグが爆発したせいで凍結災害が起きた場所がいくつもあります。いまは危ないから閉鎖されているけど、その場所が故郷の人だっています。
長い時間が経ってバグがどうなったのか、その場所は今は安全なのか、また人が暮らせるのか、まだわかりません。その中に入っていって調べる係の人が必要です。
(付添人、戸惑った表情で発表者に何か尋ねる)
はいっ! そうです! 凍結している場所に足を踏み入れたら、もちろん命の保証はないです。だからこそ、私が役に立つんです!
みんながやりたがらないことをやるのは社会貢献になると思います! バグのこと、凍結災害のこと、どうしてああなるのかをもっとよく調べれば、きっとこれから先のみんなのためになります!
だから私は、そこを調査しに行くボランティアをやります!
(会場、大きな拍手)
はい! むかしの私が集めていたミニカーのコレクションは、恵まれない子供たちの施設に全部寄付しました。子供たちもとっても喜んでくれたそうです。
今度は、社会全体に私自身を寄付するんです!
これから先、マインドハックを受けて更生した人には社会貢献の機会が必要だと思います! 我ながら、これってかなりいいアイデアだと思います。へへっ。
私以外の人たちにもぜひこれに参加するチャンスをあげてください!
(会場、非常に大きな拍手)
ありがとうございます! カントクさんにもありがとう! みなさん、拍手をお願いします!
ありがとうございます! がんばります! ありがとうございます! ……
(発表者、8方向に何度も深く頭を下げる)