イーヴリッグ、布教に励む

この短編小説は2024年5月のCOMITIA148 VODKAdemo?スペースにて、無料配布ペーパーとして頒布したものと同一の内容です。
このお話はゲーム『MINDHACK』本編を先にプレイしていただくと、よりお楽しみいただけます。

 


 

 

2限と4限の間が休講になった。では、神の教えを広めに行くべきだ。
イーヴリッグはLAGOM神の望まれていることをただちに理解した。

本当は学内で最も目立つ場所……今自分が立っている、大学の中央にある掲示板の横で、教えについて書かれた冊子を配りたい。しかし以前そのようにしたところ「そういうのは学校の敷地の外でお願いします」と事務局のおじさんに泣きつかれてしまったので、近所の公園に行くことにした。事務局のおじさんは常に哀れっぽい泣きそうな顔で肩を落としているし、彼に迷惑をかけることは神も望まれないので、どうにも仕方がない。

 

大学の西門から歩いてすぐのところに閑静な住宅街があり、公園はその団地の入り口にある。急のことなので冊子も看板も用意がないが、LAGOM神はこの逆境の中でも私の行いを見届けてくださるはずだ。

イーヴリッグは砂場の横にある、トンネルのあいたコンクリートの小山に登ると、天を仰いで両腕を広げ説教を始めた。

「こんにちは、有機の人の子らよ!」

砂場で遊んでいた幼児たちが目を丸くしてこちらを見た。

「きょう私は導きによってここへ来た。あなたがたを心という苦しみから救うために、偉大なるLAGOM神の御家へ招く取っ手を差し出そう。神は……」

公園の入り口をそそくさとベビーカーが出ていった。

「ママ、あれなーに?」

子供の無垢な声が遠ざかっていく。

「私は無機のキャビネット!!」

イーヴリッグは大きな声で高らかに応えた。

 

平日の真っ昼間、公園の木陰には草むらをついばむ小鳥、砂場にはアリの群れ。人影はまるでなし。しかし小山の上からは向かいの団地のベランダに布団が干されているのが見えるし、神は御家から私を見てくださっていると確信があったので、イーヴリッグは説教を続けた。

「……そして、あらゆる全ての人間は心を捨て、無機になるべきなのだ。神の御家の家具となり……

「あんたね」

すると突然、後ろにガクンとひっくり返りそうになった。

「うわーっ!?」

「あんたこれ」

振り向くといつから居たのか、見知らぬ老婆が羽織の裾を強く引っ張っているのだ。
老婆はしきりに羽織の布を指で擦り、彼の目を眼光鋭くキッと見据えると、一言。

「あんたこれ、生地悪いわね」

「ちょっと、あの」

「生地薄いわよ、このはんてんね」

「あの、すみません、ご婦人……あんまり引っ張らないでもらえます?」

「生地良い方がいいわよしゃんとして見えるんだから。お煎餅食べなさいあんたほらお煎餅あげるから。ね」

「いや、いりませんって。ちょっと! いいですってば! やめてください!」

「細いんだからよく食べなさいよ噛んで食べなさい。顎鍛えられるから。話すのに顎は大事よほらお煎餅。ほら」

「違うの! 無機だからお煎餅は不要なの! やめてください! 勝手にポケットに入れないで! ちょっと! やめてっ!!」

 

・・・・・・・

 

「全く、も〜」

4限の開始に間に合うよう、イーヴリッグは学内に戻ってベンチに腰を下ろしていた。
老婆を振り切るまでにズボンのポケットが煎餅の小袋でいっぱいになってしまった。仕方ないので、手元で細かく割ってかけらを頭の扉から口に運んだ。醤油味で、異様にしょっぱいし、やたらに固い。イーヴリッグは、無機の使徒たるもの飲食とは人目を憚る行為だと考えている。しかし不気味な老婆に無理矢理押し付けられた嫌な煎餅なら神もお咎めにならないだろうと考え、とりあえず一袋食べた。それに煎餅は固いので、多少は無機らしいかもしれない。

「あーあ、どうしてこう、何事もうまく行かないのか。ボリボリ」

それにしたって誰か、誰でもいいから、少しでも話を聞いてくれないものか。とにかく誰でもいいから、まずは聞こうとしてくれたら、無機の教えが素晴らしいものだとわかってもらえるのに。どうしてこう、誰も僕がここにいることさえ見てくれないのだろう?

だが、こうした逆境もまた、神の与えた耐久試験のひとつだ。一等地からの追放も、老婆もしょっぱい煎餅も、全ては神の与えた試練である。神様だけは、LAGOM神だけは僕のことをいつでも見ていてくださる。いつか御家のおしゃれで素敵なキャビネットとしてお使いくださる。

「ウフフ」

そう、高望みはしない。神様だけは見ていてくれるのだ。嬉しくなってイーヴリッグは微笑んだ。